2003年6月29日、署名をするペンの音が、香港と中国本土の貿易関係における重要な新時代の幕開けを告げました。
温家宝首相(当時)と香港特別行政区政府の初代行政長官である董建華氏の立ち会いの下、ガバメント・ハウスで行われた中国本土-香港間の経済貿易緊密化協定(CEPA)調印式は、多くの注目を集めました。
この協定は当初から桁外れの取り組みでした。中国が世界貿易機関(WTO)加盟に際して約束した内容以上の市場開放を行うというだけでなく、都市が自国との間で締結した世界初の自由貿易協定となったのです。このような協定は、今でもCEPAが唯一の事例です。
CEPAの施行から10年が経ち、最終目的である香港-中国本土間での商品・サービス貿易自由化は、急速に現実のものとなりつつあります。中国の指導者たちは、2015年末までにはCEPAを通じて、本土と香港のサービス貿易自由化がおおむね達成されるだろうと発表しています。
このようにCEPAは、世界第2位の経済大国である中国と、世界一の経済自由度を誇る香港との双方向貿易の礎となりました。CEPAは過去10年間にわたり常に進化を続け、経済関係の拡大、深化に寄与してきました。2004年1月1日の施行以来、新しい補充協定が毎年調印されています。
今年7月末までに、CEPAがあることにより香港企業が払わずに済んだ関税の額は5億9,500万米ドルを超えました。
さらに、CEPAは国籍に関係なく適用されるため、日本企業をはじめとする外国企業も香港で法人化されていれば、そのすべての恩恵を享受することができます。香港投資推進局(インベスト香港)によると、外資系企業のおよそ4分の1が、香港における事業設立または事業の拡大を決める際、CEPAが重要な要因となったと述べています。
CEPAはまた、1997年に「一国二制度」の原則の下で実施された香港返還の成功の象徴ともなっています。都市が自国と自由貿易協定を締結するという前例のない合意が可能となったのは、香港が「一国二制度」下で中国とは別個の関税区域であり、香港と中国がそれぞれWTOのメンバーであり続けているためです。
この10年間で、CEPAは多くの目的を達成してきました。2003年に発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)の壊滅的な影響を受けた不況時や、最近の世界金融危機に際しても、CEPAは香港経済を押し上げる大きな効果を発揮しました。CEPAによって境界を越えた貿易や投資は大いに推進され、10年前には想像もできなかったほど、香港と本土の貿易関係が強化されたのです。